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空爆で死亡?「イスラム国」ジハーディ・ジョンの素顔とは

   

ジハーディ・ジョン(Jihadi John, Jailer John)は、イスラーム過激派組織ISIL(IS)に所属するテロリストの一員、ある構成員につけられた渾名(ニックネーム)。イギリス人と見られ、特徴的なロンドン郊外訛りの英語を話す。複数の外国人捕虜の取引および斬首処刑映像に姿を見せており、いわば処刑人として知られている。

英メディアは「情報機関から得た情報」として、〝ジハーディー・ジョン〟の可能性が高い人物を名指しした。名前はアブデルマジド・アブデル・バリー。

〝ジハーディー・ジョン〟ことアブデルマジド・アブデル・バリーの両親はエジプト出身。

〝ジハーディー・ジョン〟の父親と母親について

デイリーニュースオンラインでは、彼の父親と母親について、以下のように書かれている

父親のアデルはイスラム主義の反政府運動に関わり、たびたび逮捕・収監されたが、後に弁護士資格を取得したという。米国を経て英国に滞在中の1993年、難民申請が受理された。エジプトから妻子を呼び寄せたようだ。アブデルマジドが生まれたのは1990年とされている。

父親はロンドンでエジプトのムバラク政権に反対する政治活動を続けた。その後、1998年8月、タンザニアとケニアで200人以上が死亡した米大使館連続爆破事件が発生すると、英警察はアデルを事件に関与した疑いで逮捕。釈放、再逮捕を経た2012年10月、米国に身柄を移送した。

ニューヨーク南部地区連邦検事局は2014年9月、アデルを殺人謀議と脅迫の疑いで起訴した。起訴状によれば、アデルはイスラム主義組織「エジプト・ジハード団(EIJ)」のロンドン細胞を運営。アルカイダと「実質的に一体化した」EIJの幹部として、アルカイダが実行した米大使館爆破事件に関与したという。また、事件の3日後、フランスなどのメディアに犯行声明とさらなるテロ攻撃予告を伝えた。アデルは起訴内容を認める司法取引に応じている。

母親はこのころ、行政の福祉給付に頼るなど生活が困窮した様子を語っているが、〝ジハーディー・ジョン〟ことアブデルマジドの暮らしぶりはよく分かっていない。唯一、報じられるのは音楽活動だ。

ユーチューブに2012年7月にアップロードされた映像では、「L Jinny」の名でラップを歌っている。

翌年、アブデルマジドは家族に別れを告げ、シリアへ旅立った。地元のイスラム主義者から影響を受け、短期間で「過激化」したとみられる。
(出典:デイリーニュースオンライン)

IS(イスラム国)黒覆面の戦闘員
〝ジハーディー・ジョン〟ことアブデルマジド・アブデル・バリーの素顔の画像
https://goo.gl/fL7yLk

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